スポーツマンシップについて考える

こんにちは!キッズトレーナーの奥村です。

先月とあるクラウドファンディングの応援を求める一報をいただきました。

それは「スポーツマンシップコーチングで子供が理不尽な悲しい想いをしない世界を作りたい!」というもの。

集めたお金はこのクラウドファンディングを立ち上げた、日本スポーツマンシップコーチング普及コミュニティという団体の活動費に充てられます。

今でこそ減ってはいると思いますが、スポーツ指導の現場では未だに「勝利至上主義」が蔓延し、そのために体罰をはじめとする理不尽な指導を受けている子供が多く存在し、そのような指導者を駆逐、真にスポーツマンシップというものを運動を通じて子供たちに伝えられる指導者を育成していく、それがこの団体の活動目的ということです。

この団体の代表をされている宮下様とは以前からつながりがあったのですが、それ以上にこの理念に多分に共感し、BUDDYとして応援させていただくことになりました。
(現在クラウドファンディングは終了、見事目標額を達成されていました。)

そこで今回は子供の運動教育に関わるものとして、「スポーツマンシップ」というものを改めて考えてみたいと思います。

スポーツマンシップ・スポーツの定義

スポーツマンシップの考え方は完全に統一された考えがあるわけでは無く、種目や団体で背反する部分が見られます。
定義することは難しいですが、いくつかの要素に分けて見てみると何となくイメージができそうです。

・スポーツをすること自体を楽しむ
・公正なプレーをする
・相手を尊敬、賞賛する

いわゆる選手宣誓のセリフにあるような「正々堂々戦う」という言葉がしっくり来ますね。
このような精神性を「スポーツマンシップ」と表現するようです。

ちなみに、スポーツの発祥について調べてみると、一番古くは約3万年以上前の洞窟に、狩りの合間の余暇に狩猟に使う道具を使ってその技を競い合っていたことが始まりのようです。
古代文明のなかでも特にスポーツ文化が発展した場所がギリシアです。古代ギリシアではさまざまな競技会が行なわれ、その中の最大の競技会が古代オリンピックであるといわれています。

また、スポーツの語源は、ラテン語の「deportare(デポルターレ)」とされています。
本来、デポルターレの意味は、「ある物を別の場所に運び去る」というもの。
この「運び去る」という部分が「精神的な気分転換」という意味に転換され、中世フランス語で「(仕事や義務でない)気晴らしをする」という意味となりました。

「desporter」という言葉はイギリス人によって省略され「sporte・sport」と呼ばれるようになったといわれています。

ここからスポーツの本質は本来勝負というよりも「楽しむ」という色が強かったことがわかります。

日本におけるスポーツ

日本でルールのある運動や競技を楽しむ概念が加わったのは江戸時代のことですが、スポーツの概念はなかったようです。

江戸時代の日本のスポーツは、あくまでも身体の育成のための運動や遊びという概念が強く、スポーツという概念で競技が行われるようになった時期は、明治維新後に日本に欧米のさまざまな文化が入ってきてからとされています。

この江戸時代のスポーツの名残が今も日本には残っているように感じます。
私が経験してきた部活動などは、武士道に代表されるように、ストイックに道を極め、楽しむことは罪悪のように考えるような、そんな気概が色濃くあったように感じます。

「江戸的」スポーツマンシップを求める指導の罠

日本におけるスポーツ指導の不幸は、前述したようなスポーツ史を背景に、その精神が体育や軍隊教育を通して浸透していってしまったことではないでしょうか。
二回の世界大戦を戦った強い兵士を生み出した軍隊教育はその後日本の運動指導現場に踏襲されいったのだと思います。

私も小学校からクラブや部活動を通して様々なスポーツを経験しその中で多くの指導を受けてきました。

体罰の経験ももちろんあります。
実際私の人間性の多くの部分は部活動などの経験の中で培われたように感じますが、ある一定の時期まではそのようないわゆる「体育会系」的な精神性を美とし、そんな辛い部活を乗り越えたことが「箔」になるような気さえあったように感じます。

その後私は「とにかく頑張る」「辛くても耐える」「文句を言わない」ということを美学に生き続けていました。(もちろんこれはすべてが悪いことではなく、メンタルは相当鍛えられたと感じています。)

ただ、ここに一番大事なものが抜け落ちており、それは私自身の「思考」です。

私は部活動経験を経て、「言われたことをとにかくやり続ける機械」のようになっていたのです。

運動教育に求められること。

しかし、本当の意味で「勝てる」アスリートは自分で思考し、行動できる人だと感じます。
指導者も完璧ではない。その指導者の言うことを言葉のまま捉え、行動していては絶対に上に行くことはできません。
情報を集め選別し、自分の頭で考え、判断し行動する。その行動が間違っていれば反省し修正する。

これは社会に出てからも必要なことだと思います。
つまり真に一流のアスリートを育てるということは、社会に出ても一人で力強く生きていける成長のサポートをするということなのかもしれません。

目の前にいる子供たちを勝利に導くことも、もちろん大切ですが、ただ命令し反復させる指導は、本当の意味で子供の将来のためになっていないことかもしれません。

児童教育において運動やスポーツはあくまで手段、その一手段としてスポーツは、私がかつて受けたような「強いマシーン」を育てるためでなく、前述したような「強く自立した人」を育てるために使われるべきです。

最初に挙げたようなスポーツマンシップに代表される、スポーツを楽しみ、相手に敬意を持って公正なプレーをする姿勢だけでなく、考え工夫し行動することも合わせて伝えていかなければいけませんね。

今回スポーツマンシップを掘り下げることで、新たに感じた運動指導の使命をしっかりと果たせるよう、私も引き続き自身の指導を見つめなおし研鑽し続けていきたいと思います。

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